たるみず日記

猿ヶ城周辺の歴史

猿ヶ城周辺の歴史-1

 6月13日T氏の依頼で猿ヶ城周辺の歴史を調べた。

今の八千代伝酒造があるあたりは鍛冶屋の谷(かっばんたい)とよばれる。

垂水島津家9代貴儔の娘(冨)は24代太守重年に嫁いだ。25代重豪を出産後すぐに亡くなった。重年公の頃この猿ヶ城周辺で鉄が盛んに生産された。

写真はこの鍛冶屋の谷近くの洞窟にあったものをミカン山の持ち主、宮迫豊春氏が安全の為、自宅に移したものです。三基ほどあるが、他にもまだミカン山にあるのだそうです。宝暦7年(1757)と刻まれている。

今から256年前、島津藩は開国の兆しをいち早く察知し準備にかかったのでしょう。

猿ヶ城のキャンプ場の上には鉄山橋、刀剣山、国道沿いにはまさかり海水浴場と鉄に関わりのある地名が多い。

これらの地名は28代斉彬公が「たたら製法」で鉄を生産した跡と言われている。