たるみず日記

前田正名が今も生きている横別府地区

 11月11日(日)南大隅町横別府にある「前田用水路疎水工事起工120周年」式典に招待していただいた。

 町中心部から海抜500Mにある集落で田圃のないこの地区に13年の歳月をかけて前田正名が用水路(10キロ)を引いてくれたと言う。

 水利組合長を30年以上続けている打越さんの挨拶のなかで「当時の一円札(現在の一万円)を用水路に敷き詰めても足りないくらいの莫大の費用がかかった。村人が途中で挫折しかけた時、正名本人も1ヶ月村に滞在し工事に参加した。正名が福岡の病院で71歳で亡くなった時は家族にたのんで位牌もらい今も公民館に写真とともに今もおいてある。

 棚田とまではいかないが今もこの水田は90軒の農家が水利組合を存続、毎年一万円の水利費を納めるが誰一人未納者はいないという。

 なぜ垂水の私達「垂水史談会」のメンバーが招待されたか?2年程前垂水本町の豪商宅の蔵を調査した際「横別府用水路竣工式案内状」が出てきた。「会長のT氏が「根占町史」を調べると前田正名の造った用水路である事、前田正名が川畑市兵衛宅を常宿とし資金援助した事がわかった。早速用水路の見学、組合長の打越さんの案内をいただいた。

 国の減反政策にも負けず綺麗に手入れされた30アールの田んぼはいつ行っても手入れされ収穫後にはコスモスが咲いていた。

 お土産にこの田圃で収穫された新米、おもちをいただいた。