5月15日、岡山市議会議員6名の皆様が牛根麓にある宇喜多秀家公潜居地を視察されました。これは秀家公の生涯のNHK大河ドラマ化を目指す活動のひとつです。
秀家公は1600年関ヶ原の戦いで敗れた西軍の五大老の1人で29才。奥方は前田利家の四女豪姫です。
秀家公は島津を頼って山川港にたどり着きましたが鶴丸城には匿われず、平家の落人と云われた牛根の平野家にあずけられました。
公を迎えた平野家は高台にある本宅を空け渡し、中屋敷附近に地侍5人を警護にあたらせ、宅地もあたえ、現在もその子孫の家敷が残っています。自分達は海沿にある隠居屋に移り、海からの追手に備えました。秀家公は2年3ヶ月この地で謹慎され、3キロ離れた居世神社に参拝されたそうです。(居世神社は天皇ゆかりの皇子が流された所と伝わります)その後島津氏のとりなしもあり秀家公は八丈島に流され80代まで生きられました。
視察当日は道の駅たるみず湯っ足り館でおち合い、早速平野家を訪ねました。
現在36代目の利孝夫人と娘さん2人があたたかく迎えてくださり潜居跡の祠にはアジサイの葉にビワが供えてありました。これは平野家に代々伝わる習わしで供物の器に普段使いのものは使用しないそうです。利孝氏が存命の頃は尾脇市長とともに岡山市のイベント等にも招待されるなど脈々と交流が続いています。
平野家では秀家公が垂水を出発された11月を命日として毎年供養して来ました。
400年変らぬ平野家の供養への感謝と、大河ドラマ化の実現を居世神社に祈願し、垂水をあとにされました。
(観光協会会員 川﨑)

