肝付氏ゆかりの盛光寺跡を訪ねました。

肝付氏ゆかりの盛光寺跡を訪ねました。-1

 5月30日鹿屋市で行われた25年度大隅地域文化財審議委員総会と研修会に出席しました。午後から串良歴史民俗資料館の見学と高山にある肝付氏ゆかりの盛光寺跡を見学しました。

 肝付氏とは伴氏の後裔といい薩摩国惣追捕使に任命された伴兼行が安和2年(969)都から下向しその孫兼貞が大隅国肝付群の弁済使となって肝付群に入部しその子兼俊が群名を苗字とし「肝付」と称した。

 今回訪れた盛光寺跡は肝付氏5代兼石が父4代兼員の菩提寺として1272)に創建したもので17代までの墓があった。明治29年の山崩れで埋まってしまい120基程あるとされているうちの80基程が掘りだされ仮置きされている。

 石塔を研究されている肝付地区文化財審議委員副会長隈元氏の説明で一気に戦国時代にタイムスリップ、16代兼継の室島津忠良(日新公)の娘で島津家15代貴久、垂水島津家初代忠将の姉にあたる方の墓も発掘された。

 1561年廻城で垂水島津家の忠将を討ちとり、島津氏の三州統一の火ぶたが切られた。この時妻の御南に離婚を迫った。父親の日新公も40日肝付に留まり帰るよう説得したが聞き入れず近くの寺で断食し亡くなったという。その御南さんの墓も掘りだされていた。墓石の家紋は島津家のまるに十である。

 石塔が語る肝付氏の歴史を聞きながら戦国時代の女性の強さ、いさぎよさに感動した研修だった。