垂水の諸家系図 川上家

 町田家、伊集院家、川上家は島津家の分家筋にあたり垂水でも多い苗字です。

川上六郎兵衛家は代々家老職にあり屋敷は垂水高校プールがある場所でした。現在では中馬場の川上典夫氏の流れが垂水川上家の本家だそうです。

 川上忠実 天正12年竜造寺隆信を攻める。忠実、垂水島津家3代彰久公に従い戦功を修む

 天正18年  御家老

 文禄2年   彰久公に従い朝鮮国に渡海、同4年彰久病死義弘公の命により代陣の指導をとる。

 慶長5年   垂水島津家4代久信佐土原中務家久の娘を娶り、忠実佐土原に迎えに行く

 元和9年   垂水島津家5代久敏公江戸に人質、久敏を廃し庶子忠政に跡を継がせようとし、忠実の諌聞かず忠実は城中にて斬られる。誅殺覚悟で登城、長男ではなく次男の忠利を同行し二人とも誅殺される。墓は本城伊地知氏の菩提寺福寿寺にある。(本家跡目相続のとばっちり?)

正徳3年  朝家の命により公族実名を定める。本宗川上七郎左衛門親芳、久,忠の字を避け親の字を用いるべき旨を伝う(島津家初代の久、忠の字を名前に使うべからず)二男以下の分家は安山氏と称すべき也(明治になって川上に戻った家も多いがそのまま安山姓の人もいる)