猿ヶ城渓谷遊歩道散策

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      森の駅垂水猿ヶ城を流れる本城川は山太郎がにの生息地です。近くの住むA氏は本城川の生き物と関わりこの川をこよなく愛する一人です。山太郎がには9月末に山から下流の錦江湾の河口へ下り11月~12月にかけて2,3回産卵し親ガニはそこで死ぬ。子ガニはしばらく海で成長するとまた本城川を上り猿ヶ城の湿地で大きく成長する。夜に行動するがイノシシの餌として命を落とすカニも多い。特製の箱を川の中に仕掛け8月(稲の穂が頭を垂れ始める頃)から11月まで捕れるがA氏は乱獲しないよう網にかかった子ガニは逃がすという。小さいカニなので身は少ないが味噌汁のダシや唐揚げがおいしい。

鍛冶場谷(かっばんたい)と鉄山谷(てつやまんたい)  八木酒造の工場がある辺りは鍛冶場谷という。宝暦年間約250年前木曽川治水工事のため莫大の費用の支出に苦しんだ24代島津重年(奥方は垂水島津9代貴儔公長女冨)がそれを償うため製鉄のみでなく金の発掘にも力をいれさせたものと思われる。八木酒造の敷地は宮迫氏(中馬場)のミカン山があった。ここの洞穴に不動明王が祀ってあり現在は宮迫氏の庭先に移された宝暦7年4月建立とある。

  鉄山谷はキャンプ場の駐車場入口から山小屋の方へ300m程いった吊り橋(鉄山橋)あたりの事で今から250年程前太守重年公垂水に製鉄所を設け、のちに28代斉彬公もまたここで製鉄を行ったといわれている。現在も林道下の川では鉄くずが見つかるという。製鉄用の木炭を作ったと思われる炭焼き釜の跡が道路脇に残っている。(現在も確認できる)

 キャンプ場から300mぐらい上に営林者の山小屋があり、橋を渡り山手に車で10分程行くと急カーブ所がかって猿ヶ城小学校の跡だといいます。大正の中頃営林署に勤める人々の子弟を教育するために設立したという。児童数は2,30人だった。風が強いのでくぼみに学校があったという。