島津家墓地

  • 歴史

  垂水島津家歴代の当主と奥方、子供達の眠る墓地は林之城、仮屋跡から車で2,3分東へ行くと心翁寺跡にある。初代忠将の墓は国分清水城、2代以久は佐土原、3代は清水城、4代久信は鹿屋安養寺5代敏久は家臣団の近く、6代から16代までが垂水島津墓地内にある。2年程前興味本位で資料をたよりに全墓石調査した。本家25代重豪公の母は垂水島津家の出であり26代斉宣公の令子兼次郎をわずか1歳にして養子としてむかえている。2歳にして夭亡す。幼くしてお家騒動に巻き込まれたか?と思ってしまう。本妻と仲良く並んだ墓石、生後1,2カ月の子供の墓石がある中で側室の墓は見当たらない。『垂水島津家家譜』には妾腹という記録が随所にみられるのだが・・・。垂水島津家は16代貴暢公で本流は絶え、島津墓地は市に寄贈された。時々ボランテァで草取りをするが墓石に刻まれた文字から当時のお家事情が垣間見え、歴史がおもしろい。石に刻むという事は400年の歴史を伝えてくれる。

 歴史こぼれ話    銀姫の墓と白ヘビ

 島津墓地の上段の奥まった一角にひときわ豪華な墓石があります。以前は図書館裏,創垂館シルバー人材センターの入り口付近にあったもので垂水9代貴儔の娘銀姫のものです。銀姫の姉冨は加治木島津家重年に嫁ぎ25代太守重豪を産み、翌日亡くなります。重豪の長女(茂姫)。が徳川11代家斉の御台所となります。茂姫からみると銀姫は大叔母さんになります。実は銀姫は喋れませんでした。御台所の里に銀姫のような身内がいては都合が悪かったようで島津墓地以外の寺に葬ったようです。父貴儔の親ごころでしようか、それはそれは豪華で全面に島津の紋がほどこされています。後に島津墓地に移されましたが跡地から白ヘビがでて話題になりました。撮影したN氏に銀姫の精「銀祥」と名付けられました。島津墓地へ移す時か墓からたくさんの装飾品がでたきたそうです

 

 


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