稲荷神社埋没鳥居

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  国道22号線牛根麓居世神社後方500mの小高い山の頂上に祀ってある稲荷神社である。かってこの地は三州統一に着手した島津義久と大隅の豪族(肝付,伊地知、根爾)が戦った最後の激戦地だといわれています。肝付側の安楽備前の守が城を明け渡した時この戦で1000人余りの兵が亡くなったといわれています。その後地頭としてこの牛根郷に入った伊集院久道が義久の命で久冨木家のびわ山に島津の氏神である稲荷神社を創建し神田をあたえてこれを崇拝させたといわれている。、今から437年前(1575年)の事であるにもかかわらず、久冨木家では代々長男がこの神社を守ってきた。現在の哲氏で29代目だという。この久冨木家も薩摩の豪族渋谷一族祁答院氏につながるという。この稲荷神社の鳥居が大正3年の桜島大爆発の降灰で埋まったものです。

久冨木家には11面観音鏡の掛け仏がある。もとは池袋宗政が京御より勧請して奉納したものといわれている。何らかの事情で久冨木家に伝わっている。 

 歴史こぼれ話   島津家と稲荷神社

 島津家には稲荷神社が祀ってある。島津家初代忠久は源頼朝の庶子といわれている。母は丹後の局で妊娠している事が頼朝の正室北条政子の知るところとなり生まれてくる子を始末されるとわかった。西へ逃げる途中大阪の住吉神社で土砂降りの雨の中、狐火に照らされ生まれた。

 島津雨といわれるのはここからきている。戦に行く時大雨だったりすると勝ち戦になる。大事な行事に雨がふると主催者は(島津雨じゃが,縁起がよか!!)とよくいう。