林之城跡・お長屋

  • 歴史

 2011年11月20日林之城築城400年の記念事業を行いました。垂水島津家は1500年後期から1600年代において島津家の三州統一の拠点になったといってもいいと思います。肝付氏,祢寝氏、伊地知氏、伊東氏など大隅の豪族を傘下におくにはまず島津家15代貴久公の次弟忠将を初代として垂水島津家を興しました。初代忠将は12歳~42歳の戦死まで戦いに明け暮れた人です。義弘公のおじさんにあたります。2代以久は12歳で元垂水にあった垂水城にいましたが豊臣政権から徳川政権へと変わり、佐土原3万石を領し4代の久信に垂水は譲りました。3代彰久は朝鮮の役で病死しています。1611年、今の垂水小学校に林之城を築きました。その後1615年頃一国一城制度ができ鶴丸城以外の城は館とか,仮屋という名称に変わりました。今垂水小学校の校門の右側に当時のお長屋が現存しています。屋根や壁の一部は修理されていますが石垣、柱など当時のままです。正門を挟んで2つあったそうですが太平洋」戦争で焼け一つだけ残っています。13代貴典公は篤姫の婚礼に垂水島津家から出席しています。14代貴敦公の奥方八於姫は篤姫より先に徳川13代将軍の候補にあがった方です。15代貴徳公は垂水小学校の4代校長をされています。明治2年に私領を奉還しました。

 

 

   歴史こぼれ話  垂水島津家は本家15代貴久の弟という立場から豊臣秀吉、徳川家康からも一目おかれた存在でした。戦国の世にあって九州の島津は目の上のたんこぶで大陸との貿易上も気になり底しれぬ財力の持ち主でした。秀吉は16代義久と弟義弘を分裂させようとあの手この手を使いましたが祖父忠良公の教育で絶対崩れる事はありませんでした。そこで垂水島津家2代以久にゆすぶりをかけました。茶の湯の世界で3代肩衝といわれる楢柴を分家の以久に与えました。名品の肩衝をもらうということはこの時代一国一城をもらうに値しました。その後以久は徳川家康に佐土原3万石を与えられた際、家康にこの肩衝を献上したと伝えられています。その後3代家光までは茶会などで使われた記録があるそうですが江戸城が大火事になりその後の行方は不明だそうです。