西郷隆盛と垂水(3)

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 山鹿帯陣の事

 山鹿滞陣中はのんびり湯冶などしていて、たまに味方に弱味のあるところがあれば、その援助に行ったりして日を暮らしていた。自分は当時十八歳で身体強健な方であったから、余り疲労困憊等も無く又一度も病気せず負傷もせずといったあんばいで所々に転戦していたが、山鹿滞陣中に面白い事に出あった。否、自分には関係なく只見物したのである。一日湯冶に行っての帰りがけに池辺隊のの宿所の前を通ると喧嘩口論の声がするので、ちょっと立ち止まって耳を傾けた。するとたちまち、表に出ろと言う声がして同時にどやどやと人々が出てきた。その中に二人白刃を噛みあわせたまま徐々とでてくるのであった。その傍らから一人の男がそのままの構えを崩してはならぬぞといいつつ、介添をしているのであった。やがて道路上の各の足場が定まるとよしと言って介添人が身を退いた。一方は三十才近い色の浅黒い中背のガッチリした男、一方は二十一,二才の色の白い美男子である。年上の方が先組合った刀をスッと引き外して後へ飛び離れると、年下の方は一歩踏み出した。と見るとお互いの白刃が空に閃き、日光を反射して、火花が散るように見えたが、直ぐ又双方とも跳び上がった。そしたら年下の方は小鬢と肩の辺りから血が流れ、年上の方は拳に血が出ていた。更に双方いずれも中段の構えでジリジリと親指で歩み寄って行く。この時すでに見物人も沢山集まっていた。誰も皆若い方に力を入れていたか知れぬが、どうしても年上の方が強そうであった。エイと一声年上の方が刀を引くようにして後へ跳び退いた。年下の方は前へのめるように打ち倒れた。すなわち勝負は終わったのである。然るに年上の方も流石に疲れたとみえ、刀を杖について肩息荒く吐いていた。すると兄貴の仇と呼びかけて十七、八の少年が真っ向から斬りかかった。ハッとしたように身を沈めて横に払った。こちらは確かに手ごたえがある。少年の方は空を斬って無念と一声、脇から噴出する血を左手で押さえながら兄の屍の上にうち倒れて死んだ。

 東の方に向かって進む  小濱加治木隊長

 どんな形勢であるのか、又どういう画策があるかそんな事は我々にはわからなかった。。知ろうとも思わなかった。そしてただ命令どうり神妙に動くのであった。今までは小倉鎮台を攻めて、北へ北へと進んだものを、これからは東へ東へと豊後方面に向かって進むようになったのである。二月の中旬頃鳥の巣という所に行ってしばらく滞陣した。ここの戦いに我が垂水の高野市之進が戦死した。この時分の事である。加治木の小濱某という人が加治木隊と言う別動隊を編成して来られた。この小濱隊長が敵に接すると鎮台位を斬るのは刀の汚れじゃと逃ぐる鎮台兵を後から引き倒して踏みつぶし、又土堤など這いあがらんとする者の足を捉えて引きずりおろし「それ!誰か斬れ」などまるで子供をあしらうようであった。そして吾々少年に対しては「オイオイ深入りするな、あとからくるがよろしい」などと情けある言葉をかけてりして誠に善いおじさんであった。

  酒宴最中敵の襲来

 行く行く敵を追い払って進み大津という所に着いた。ここで平野隊長は八代の本営に転じ、後任は奥雄次郎という人が代わられた。その日は丁度三月の節句であったから平常なら家にいて菓子でも食うものをと思いながら町の店で羊羹等を買って食った。ここでは分捕りが非常に多く、中でも銭がたくさんあった様子で吾々も十五円ずつ貰った。又一等の月毛馬の立派なのがあったが早速これに奥雄次郎新隊長や平之馬場の伊地知吉彦という小隊長などが乗ってみて嬉々とはしゃいでいた。ここには一週間ぐらいもいたであろう。吾々の宿所は挊紺屋(かせぐや)であって美しい娘がいたが三味線が上手であるという事であった。そこで或る晩酒宴を催し、その娘に三味線を弾かせ歌う、踊るの大騒ぎをやった。こんな時に生憎なもので敵軍襲来、という叫び声が聞こえて驚き跳び出した。ところが最早そこまで攻めよせて来ていた。そして今の今まで踊ったり歌ったりした人等がバタバタ殪(たお)されたのは気の毒な事であった。遂に矢部町まで敗退して一夜を過ごし、猶そこにもたまり兼ねて更に久摩山の下の豆原場へと退いたのである。

  赤松峠の悲劇

 (鹿児島上町の蕎麦切屋の二男藤太郎という者、垂水本町の蕎麦切屋に養子に来ていた。それが十七才の時であったそうで、その実見談。戦死者が日に日に増えて兵員が著しく減ったので補充兵募集が行われた。城下の武士はすでに残っている者が無かったから、町人、百姓のうちから募集した。元来町人と言えども気概ある者少なからず、特に昨今味方の不利を聞いて憤慨しつつおおいに敵概心に燃えていた際であり且は腰に大小を差し肩で風を切る武士の颯爽たる姿を羨んいた時代でもあり、又こんな時こそ刀をもって人を斬って見たいような、異状な衝動も受けていたのであるから、たちどころに一隊の新募兵団が出来たのである。最も田舎地方に残っていた武士も若干その中に在ったのである。これを二番立ち、または後立ちと行った。一同勇躍して出発したがかの有名な相撲取りの石千代なども加わっていた。頃は青葉茂れる初夏の季節で暑さは日に日に募りつつあった。肥後の国は日州境の赤松峠という所にさしかかった。この辺の戦いは皆味方の勝利で行く行く敵を追い払いながら進んだのであるが、ここ赤松林の中に細谷川があって道はその川沿いに上流の方に登り、一町ばかりして飛び石伝いに向こうに渡ると今度は下流の方へ川沿いに下り数十間にして向こうに曲がって行くようになっている。この谷川の岸にきた時、三人の鎮台兵が逃げて行くのを見た。たちまち味方の一人が抜けがけして追いすがった。敵は三人とも後を振り返りふりかえり走って行った。飛び石の渡りを超えて数十間の所で追い付いた。逃げる者はたいてい後を見い見い走るものである。そして腕に覚えのある者なら追う者が味方を離れて一人になった時、立ちかえってきてそれを討ち取るものである。今これは丁度その型にはまった訳である。余りの二人は止まらずに逃げて行ったのでここに一騎打ちの形のなったのである。鎮台兵の方は拳銃を構えている。こちらは太刀を上段に振りかぶっている。川を隔てて此方から一同立ち止まって見ていると、あたかも芝居の花道で大立ち回りが演ぜらるるところのようである。双方立ち向かって構えたまま隙を狙い気合いを図っているのか一分、二分、三分微動だにせぬので「早く斬らんか!!」と此方から大声で催促する。それでも動く気配が見えぬ。すると突然一発の銃声が此方の耳元に響いて向こうの鎮台兵がパタッと打ち倒れた。振返ってみると味方の一人が銃口にまだ白煙の消え残るのを提げて走って行き、直ちに死骸を探って財布を曳き出した。実に敏捷の動作で一同驚愕した。財布には二円ばかりあったそうである。一同も漸くそこによってきたがかの一方の味方の男は振り上げた刀を杖につき、茫然と自失したように突っ立っている。これはちょっとおかしいぞと思って聞くと何も答えずに涙をはらはらと落とした。いよいよ怪しいと思って重ねて尋ねると、「この者は私の弟である」と言って声を出して泣いた。一同いたく胸をうたれ、涙を流した。その後程なくして、かの銃で撃った男が戦死したが、皆々好い気味だ盗賊め」と言った。