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[2016-08-06]「戦後・焼け跡からの垂水商店街復興の記憶」座談会

 昭和20年8月5日11時50分、垂水大空襲によって垂水の中心地が米軍の爆撃を受けました。あれから71年たち、本町商店の豪商宅から多くの遺品が出てきました。

 K氏宅の蔵からお父様の出征旗が2本(昭和12年と18年に出征)され最後はブーゲンビルで玉砕されました。お母様は20年6月17日の「鹿児島大空襲」で行方不明のままです。そして8月5日の空襲で自宅は全焼しました。こんな悲劇があるでしょうか?K氏7歳の時です。夕方になると垂水桟橋の船着き場でお母さんの帰りを待っているK少年の姿に周りの大人たちは胸が張り裂けそうだったと言われます。

 Sさん宅の蔵からはお父さんの弟(当時21歳)の遺品、千人針の胴巻き。日の丸の寄せ書き,戦地からの郵便物数点、早稲田大学で写した写真、その後赴任した宮崎の女学校での写真などです。赴任わずか一年で戦場へ行かされ、戦病死だったそうです。婚約者もおられたそうです。

 M氏の蔵からは8月5日の空襲からわずか4日後に垂水町が発行した罹災証明が出てきました。両親、子供2人、使用人3人の名前が役場の帳簿の裏紙に書かれ,町長印も公印でなく、個人のものです。当時の混乱ぶりがこの紙きれ1枚でわかります。

 垂水市全体の戦争体験集などはありますが、商店街の復興の様子が残っていません。これを機に商店街の復興の様子を探っていき、これからのまちづくり活かしていきたいと思います。