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[2017-02-20]  垂水人形の歴史

 「春を呼ぶ垂水土人形展」も5回目を迎えます。今年は2月26日~3月5まで本町商店街旧川畑秀夫宅で開催いたします。

 目的は古くから垂水で製作されてきた垂水人形の継承と商店街の活性化につなげたいとのおもいからです。昨年から土人形の絵付け体験、垂水小学校3年生の郷土学習の一端として人形展の見学も行われております。今回は着物を着て本町商店街をパレードを計画しております。垂水吹奏楽団の生演奏を先頭に歩きます。本町は瀬戸口藤吉翁の誕生地ですので勿論「軍艦マーチ」です。

 なぜ着物かと言いますと垂水はかって大島紬の生産が盛んでした。昭和30,40年頃は紬織の内職が家庭で行われ、親が織った紬を娘に、又結納返しは大島紬の着物と羽織の反物を相手の男性に贈るという習慣があり、今でも各家庭の箪笥に、大事にしまってあります。この着物を垂水の観光に活用していただたいとの思いからです。

 垂水土人形は昭和12年頃、川辺と言う方が垂水の人形制作者渡邊満彦氏を訪問して垂水人形について聞き取り調査をされています。その内容は長谷川一郎という方によって創始されたと伝えられるものの、いつ頃の人物か定かでないこと、大正時代の初め頃は20軒で製作されていた事、訪問された当時は年間500~800個でその販路は大隅方面及び指宿方面である事などです。なお『郷土玩具辞典』には明治初年の創始と記されています。戦前は渡邊満彦氏、有馬休四郎氏などが制作を続けていましたが次々と制作を止めてしまいました。

 戦後は満彦氏の息子操氏が先代から残された型で節句の時だけ制作していましたが昭和30年代に絶えてしまいました。平成元年「垂水人形研究会」が結成され(中島信夫氏、中島三郎氏)再び土人形の制作が開始されました。平成元年立ちあげの際、渡邊家に伝わる土人形の型を借りていかれ、現在のひな人形は渡邊家にあった型で製作されています。